相対論的量子力学と確率解釈

シュレディンガー方程式を相対論的なものにする過程で、波動関数に対する確率解釈が成立しなくなるという話について再考した。

 

めんどうなので簡潔に。

 

まずはじめに思ったことは、確率密度ρ(x)=Ψ*(x)Ψ(x)はガリレイ変換に対しスカラーであるものの、ローレンツ変換に対してはスカラーではないことである(ベクトルの一成分)。しかしこれは規格化まで考えると、ローレンツ変換(ポアンカレ変換)に対しスカラーとして振る舞う。そもそも、理論が相対論的になったからといってスカラー的な確率密度が定義できないというのがおかしい話である。

 

(一般の座標変換に対してもスカラーとして振る舞うかどうかはすぐにわかることではなく、ウンルー効果などによって変わってくる可能性もあるのでここでは置いておく)。

 

次に、よく見る説明として「相対論では、エネルギーの条件が満たされる限り粒子の生成消滅が許されるようになるので、確率保存の式が成立しなくなる」というものが挙げられるが、これは少しおかしいんじゃないかと思う。

 

非相対論的な量子力学は、粒子の生成消滅を「扱えない」のではなく「扱わない」のではないか。これはあくまで「生成消滅が生じない」という仮定であり、必然的な制約ではない。ニュートン力学と相対論では確かにエネルギーの表式は違う。しかしエネルギーの表式は、粒子の生成消滅を禁じるするほどの決定力は持っていないはずである(直感)。現に、ニュートン力学的なエネルギーの定義を用いて、エネルギー保存を満たしつつ粒子が生成消滅を起こすような過程を考えることは可能である。